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Channel: クルシャの天地
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醒ヶ井は、さくさめの牽く牛の井じゃと? 

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先日、「鼠草子絵巻」を拝見中、四条堀川の鼠が
五条油小路の人間の娘と婚姻しようとして、失敗する
という説明を読み、えらい狭い地域の話ですなと思いながら
近くの地名を見ると「左女牛井」と書いてある。



現在の表記、「醒ヶ井」の少し古い表記のようです。








隣に「刑部(おさかべ)という名を見つけたので、
前夜調べていた『新撰姓氏録』のうち、「左夜部」
とつい混同してしまい、なんだ物部の氏族がこのあたりに
住んでいたのだろうかと、すっかり勘違いいたしました。









左女牛の像まであるから、いよいよこの名は怪しい。
オスとメスがいるらしい。

いや、トリポッドでしょこれ。

そっちの方にイメージを膨らませるのは止めて、元を探ろうと、
このとき思い立ちます。









放っておくと、この類のことは、いつまでも判然としませんからね。

覚えている内に分かる範囲で答えを出すのです。


まず、それは生き物でも妖怪でも無い。











こういうとき、助かるのが、仁丹看板。










少し前まで、佐女牛井(さめぐうぃ)で通じていたらしいぞ。


そうして、調べると、左女とはさくさめのさめらしいということ
でありますよ。さくさめはとじのこと、なんていう説明もございますが
刀自のことではなく、妙齢の女性のことだともあります。


このあたり、かつては河原でありました。
河原の丘の草を与えられた牛舎でもあったんではなかろうか。


牛を牽いた妙齢の女性が、水を飲ませに連れてくる井戸でも
あれば、それが醒ヶ井。実際、茶の湯に使われた井戸がございました。

牛らに水を与えているさくさめの姿についての記述でも、どこからか
探してきて引き写せれば、この探索も終わるわけですが、一応ここまでに
止めておきます。

有楽斎も、織部も名水を求めてこのあたりに住んでいました。


今の名残としては、茶にちなんだ銘菓があるのですが、また別の日にご紹介いたします。





ウルタールのうる: 巻三十 (うるたやBOOKS)東寺 真生うるたや

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