ふわふわになったアリアンと仲良くしています。
ここに来る途中なんですけどね、久しぶりに道路の落書き
見ましたよ。
これね。
署名入りの落書きなんだけど、この線の戸惑いの無さは
大人だと思うんですよね。
地蔵盆だから子供たちの落書きがあるのかな。
人が暮らしている感じがして、ほっとする。
飼主も小学校低学年の時、学校から欠けたチョーク持ち出して
道路に落書きしたな。ブエルとかアスタロトとか。
形天とかカバンダとか。なつかしいね。
一緒に過ごしながら、アリアンの問わず語りを聞いて
あまえる猫
ころころするアリアンを見守る。
名残惜しそうにするところを見ながら出て行きます。
次に会うときに、また惜しめるようでありたい。
帰り道の途中、班女塚に寄りました。
能の「班女」だと「秋の扇」というわけで、中国の班倢伃の故事に
寄せてありますけれども、『宇治拾遺物語』では何やら奇怪な話
になっている。そして、現地の案内板を見ると、どちらかの大殿が
このあたりに屋敷を営んでいて、敷地の池の中島に弁財天を祀った
名残であると書いてあります。
パラフレーズというか、シンクレティズムの古典的な展開でありますよ。
悲運の女性を救済する場所ではあるわけで、こういう場所はもっと
参詣客があってもいいと思うんですけどね。
女性に優しい弁財天なんて、日本でも珍しいんじゃないか。
写真を撮ってみて、後から情報を拾おうとしたのですが、よく
分からない。また今度裏に回って見てみよう。
夏に抜けた蝉の殻が、まだ残ってました。
秋の扇と蝉の殻
ウルタールのうる: 巻二十六 (うるたやBOOKS)クリエーター情報なしうるたや