お忘れかもしれませんが、約束していた話をしましょう。
どのように解釈なさっても結構です。
ただ、この話は飼主がこのブログでのみ静かに話すことに
意味があるのだということはどうか心に留めて下さい。
あの日、11月21日のウルタ君の一周忌の朝には普段起きないこと、
そしてその後も起きていないことが三つありました。
ひとつは、何故か消したはずの部屋の明かりが朝には点いていたこと。
その部屋はウルタ君がいつも飼主を見守ってくれていた書斎です。
ひとつは、朝から電話機が謎の混線状態になって、着信ランプが点滅し
続けていたこと。受話器を取って耳に当てても何も聞こえません。
ひとつは、朝からうっすらと同じ曲が何度も続けて聞こえていたこと。
空耳のようです。実際に音がしていないのは分かりますが、胸の中で
鳴っていて止まないのです。
その曲ですが
Maria Callas, "O mio babbino caro" (Puccini)
O mio babbino caro
プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリアです。
歌手はわざわざマリア・カラスを選んでみました。
こういうことに意味を探すのはちょっとした徒労です。意味を確定しようとすれば
するほど、あえかな実相というものから離れていってしまうからです。こういうのは
飼主、ずっとやってきているので経験知でもってよく分かっています。それでも何かを
示しているのは直感で分かります。古い宗教哲学用語のanfangsvermögenというやつ
です。最初から知っているのだが、形を知らない何か。
それで、とにかく電灯や電話機の異常は置いておいて、この曲をさらっと調べますと
歌詞が分かりました。若い娘が父親に向かって誰かと結婚したいと訴えています。
許してもらえないならアルノ川に身投げして死んじゃうから、
みたいなことを歌っているわけです。
お父さんに呼びかける形で。
お父さん、飼主はウルタ君にとってお父さんだったのだろうか。いやいや、ここで字義
に拘泥して歌詞とウルタ君の気持ちとを引き比べて解釈すると必ず間違う。
大事なのはそこじゃない。
彼にぞっこんなの。
よしよし、ちょっと待て。
ウルタ君は誰かに恋をしてしまったのでしょうか。
前日、食卓に上がってきたウルタ君に話しをしたことを覚えています。
その内容は「猫は自分の死に際が分かるというから、もし分かったら
飼主に教えるんだよ」という意味深なものでした。飼主もなぜそんな
ことを言ったのか、よく分かりません。ウルタ君は意味を理解したのか
自分の匂いをかいで、フレーメン起こしながら首を傾げていました。
あの様子からすると、前兆らしきものは無かったようです。
もちろん、だれかが好きで玉の緒が切れそうになっている様子にも
見えませんでした。
歌詞は短いのです。
私は悩んでいるの、つらいの。ああ神様、私死んでしまいたい。
悲壮な歌詞なのですが、曲調は美しいものです。
ひたぶるに純粋な響きがあります。
ウルタ君は突然思い詰めて死んでしまったのでしょうか。
オペラの中でアリアを歌う娘は財産を得て希望通りに結婚します。
死んでしまいたい、とは歌っていますが死んでいないのです。
「ジャンニ・スキッキ」というのは、智恵坊主の頓知話みたいなものです。
この娘のために父親が知力を総動員してハッピーエンドになるのです。
お話の中では娘の哀願の場面。
飼主はどうもこの曲がウルタ君の最後の気持ちであったような気がして
なりません。というのも、ウルタ君がどんな気持ちで去って行ったのか
ずっと知りたいとウルタ君に伝えていたからです。その返答がこの曲だ
と思えるのです。
リニアルに解釈すると間違います。
この曲がウルタ君の飼主の疑問への答えだとして、重要なことは
ウルタ君が死への怖さより、憧れを優先したこと、そのため死はおそらく不意
の恐ろしいものではなく、予期された関門として彼によって受け入れられていたこと。
それが答えです。
つまり
言葉にするのも健気で悲しいことですが
「飼主、うるは辛くなかったよ。そんなことで悩まないでね。もっといい世界に
行くのだから」
と伝えてくれたのだと、信じています。
ウルタ君、これでようやく飼主は悲しみを手放し、自分を許すことが
できるよ。こんな日が来るとは決して思わなかったけれど。
あれから、空耳でもこのアリアを聞くことはありません。
去年の今頃は「愛の苦しみは一生」なんていう18世紀の歌をずっと流して
いたので、その返答でもあるかもしれません。
一年を経て、ウルタ君が辛くなかったと伝えて
くれたのだとしたら、飼主も彼のために無駄に
悲しみ続けることはないのです。
こうしたことを思っていた間にも、クルシャ君は成長し続けています。
椅子の上で横たわる猫
近頃は寒いのですが、よく椅子の上でこうして半ば丸くなるだけで
過ごしていることが多くなりました。寒いからもっと暖かい場所に
いてもらいたいのです。
クルシャ君の写真と動画をいくつか並べながら
またすこし、ウルタ君の話をしました。
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