こんばんは、クルシャ君。昨晩もイタズラたくさんしましたね。
今日は飼主の机の上にいるようだから、お話しますよ。
今日のお題は「センチメンタルとか何とか」。
毎回何が言いたいのか分かりませんね。
センチメントって「気分」ですよね。
実存主義の主要テーマなんだが、そんなことどうでもいい。
クルシャ君、なんかもう「気分」が面倒くさい感じになって
きてますね。飼主は君がそんな顔しても構わずに続けます。
昨年の12月1日、インドをご訪問なさった天皇皇后両陛下についての
報道で、こういうのがありました。
こうした歓迎のなか、皇后さまは女子学生に英語で「センチメンタルジャーニー」と、
感慨深い再訪であることを語られた。
【ニューデリー=今村義丈】産経ニュース 2013.12.2 00:27
去年、確かニュースの見出しだけ見て、記者が勝手に印象でもって「センチメンタルジャーニー」
などという言葉を使ってしまったのだろうと思ってましたが、違ったんですね。
ところが、この言葉は使われ出した最初から罠が仕掛けられているのであります、陛下。
ロレンス・スターンという「怪しからぬ破戒僧」(夏目漱石)がおりまして、こ奴の
作品のタイトルとして世に出た言葉なのです。そして、その作品というのがまあなんと
いうか、いつもの調子で悪ふざけの繰り返しなのです。どういう悪ふざけであるかと
申しますと、お読みになればよろしい。
飼主の評価をもし許して頂けるならば、スターンという破戒僧は一種の天才であります。
いずれにしても、言葉として独立した「センチメンタルジャーニー」、特にジャズの名曲
のそれのイメージとは全く違うものであります。
spent each dime I could afford なんていう不安を含んだ「感傷」なんて無縁なのであります。
最初に戻ります。スターンという男は、何につけても必ず仕掛けをしないと気が済まない
ような才知に長けた男なのです。そこを飼主は買っておりまして、自分もかくありたいと
まで思いながらも、やっぱりこんな神経質で小物めいた坊主にゃなりとうないわいとも
思うのであります。
非情に頭が宜しくて、博覧強記なのですが、心の底を見せることを常に恐れている男でした。
だがこんな男にも光に照らされた小庭のような純真さがあり、知的な装いはこの小庭を
守るために使われているのです。おかげで今でも愛されてはいるのですが、イタズラが
度を越して居る。
さて、誰がこのスターンにとって、21世紀までに自著のタイトルの意味が遊離して字義
通りに使われ出した時、自分の作品の外観が通用している語句に襲い掛からないと予想
しなかったに違いない、と断言できるでありましょうか。
要するに、後の時代のナイーブな連中をからかってやろうと考えてもおかしくない男
なのであります。
どうでしょうか、あくまで仮説です。しかし、真に恐るべき謀を巡らす個性というのは
実在するのです。
死せる孔明が生ける仲達を走らせたようなものです。
誰もが皆、同じような範囲で計算して生きていると考えてはなりません。
クルシャ君、そういうことだ。
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