クルシャ君の毛色はシルバーなので、銀猫です。
何と言われても構わないのですが、銀猫と暮らす時間を許された
ことが、飼主の最大の幸福だと思ってます。話すのも聞くのも難しい
ところなのです。白黒斑だと愛せない、なんてことではありませんよ。
クルシャ君らしい顔。
今回も彼がお喋りな証拠の動画がございます。
喋りながら遊ぶ
ほら、ずっと何か喋ってますよね。
そんな、よく喋る銀猫と暮らしていますと、西行法師って偉大だなあと
思うわけです。
ええ、西行法師って偉大だなあと思うのですよ。
何が何だか分かりませんよね。
ご説明いたします。
文治二(1186)年、鎌倉の鶴岡八幡宮にやつれた坊さんが休んでおりました。
そこへ通りがかった源頼朝が、梶原景季に誰何させると、このやつれた僧侶は西行法師
であることが分かりました。頼朝は都で北面の武士だった頃の西行を知らないので、
目に留まるだけでも不思議な話ですね。やはりただ者ではないと頼朝も見抜いたと
いうことのようです。とにかく、目の前にあの西行が居るというので、頼朝は屋敷に
旅僧を案内し、弓箭の道のことやら歌道のことやら、この機会に何でも聞こうとする
わけです。
西行と頼朝が対面したのは、この一度だけではないかと思いますね。他にあった
かな。とにかく、翌朝はもう屋敷を出るという西行に、頼朝は「銀で拵えさせた猫」を
贈ります。「馬の餞(はなむけ)」というのは聞いたことはあるが、銀を猫にして渡す
というのは他に知りませんね。中国も元代になると、銀の使用が盛んになってこの頃
銀塊を馬蹄型に鋳込んで、インゴットとして流通させていました。明代には、より洗練
された形になっていくのです。この話は史実として『吾妻鏡』に書いてある。
とにかく、西行は頼朝の館を出て行くわけで、懐には
ちょっと重い「銀の猫」が入っている。
頼朝の屋敷の門を出ると、子供たちが竹馬なんかで遊んでいる。中世の頃の竹馬って
いうのは、今の竹馬とは違います。竹を切り取った物に跨がって、馬に見立ててその辺を
走り回るというやつで。道なんか当然舗装もされていないわけだから、竹の葉が埃を舞い
立てて、迷惑で仕方ない。ちなみに「竹馬の友」というのもこの竹馬です。今の、高下駄
みたいに履いて歩く、あの竹馬ではありません。
西行は子供たちに寄っていって、頼朝に賜った「銀の猫」を彼等に渡して去って行きます。
子供たちは迷惑な竹馬遊びを止めて、代わる代わる「銀の猫」を撫でて遊んだそうな。
銀猫クルシャ君を見て、こんな話を思い出すわけです。
改めて、西行は偉いと思うわけですよ。
未だ、飼主は銀猫を貰って、すぐ手放せる心境にはなれていません。
まあ貰うことも無いし、貰っても誰かに譲りそうです。
そう
クルシャ君がいるから。
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