団子呉れたら御供参らせよう
などという民話に出てくるような奇特な猫は居ない。
しかし、団子あるなら舐めたいのがクルシャ君。
ウルタ君も、みたらし団子のタレだけは舐めてました。
みたらし団子の起源は、京都の下鴨神社の御手洗池を見て思いついたという話がありまして、みたらし団子元祖は下鴨にあるのです。
御手洗池から湧き上がる泡の様子を、串で繋がっている団子に見立て、瑞々しい様子を表現して、餡を掛けたというお話。
確か、本家の御手洗団子は、一串に団子が五つあったと思います。
四つ玉の先に、小さなひとつ玉がすこし離れた場所にあります。着想の起源を伝えているんだと思うが、連なっている団子の泡の先、つまり水面方向は串の先なんですかね?
水圧から考えると、逆じゃ無いのか。
また、へんなこと言ってますね。
子供が気にするのって、そういうことじゃ無いかな。
いやいや、分かってますよ。古人の感じ方は今と同じでも表現が逆だったりする。この場合、小さいから弾けてることになのです。
極東寓話集 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸
自分が為したことの意味と価値を知るものは皆無である